2009年04月04日

[ベトナム]一号線を北上せよ!足で越えろ、中越国境! その2(ドンダン友諠関国境)

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国境地図

ベトナム側の出入国事務所の建物。
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いわゆるどこにでもあるコンクリの建物です。非常に小さな建物です。
中は人でごったがえしていました。
建物の外も人が溢れています。

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ベトナム人民か中国人民なのかは顔では判断できずに、喋っている言葉でどちらの人民かを理解することができました。
それにしても、イミグレの建物の中はものすごい人の数です。
ざっと見ても小一時間ぐらいはかかりそうな人数です。
私たちはViet氏に言われたとおり、建物の外で待機。
トイレにも行きたいのですが、Viet氏曰く、「こっちのトイレは汚い。中国側で行った方がいい」とのこと。

手続きを待っている間にも、中国人民、ベトナム人民が次々とやってきます。
一見して、中国人の観光客、という集団もいます。

ベトナム人でベッタリと化粧をした女性数人の集団が複数いましたが、やはり春を鬻ぐ出稼ぎでしょうか?
みな一様に大きなスーツケースを持っています。

ミニバスやマイクロバスで到着する人たちもいます。
これがどうやらハノイ〜ランソン〜国境へのバス、またこの先の中国各地へ行くツアー(というか移動手段)のようです。
事実、ハノイ〜ランソン〜国境〜南寧までの通しのチケットがハノイでは15ドル程度で売っているそうです。

待つこと彼是10分弱。
イミグレオフィスに入ったViet氏が呼びに来て、HOK君とともに建物の中へ入りました。
これだけ人で溢れているのに、窓口の一番前に行くようにViet氏から指示されました。
イミグレの窓口といっても順序を並んでいる人は誰もおらず、窓口の前に我先にと群がっているのです。まあ、ベトナムでは

日常的な光景だし、中国でも日常的な光景のようです。
そして窓口の向こうにいる係員は名前を呼んだり、パスポートの顔写真のところを開いてこちら側に掲げます。
Viet氏に呼ばれて建物の中に入り、すぐに係員が私のパスポートをこちらに掲げたので、それを受け取りました。パスポート

の顔写真と私の顔は確認したようなしないような。
そして続いて家人のパスポート。

あっけなく出国印が押されたパスポートが返ってきました。
私たちの周りには50人近くの人がいて、それも私たちより先にいた人たちです。
しかし、私たちの出国手続きは彼らを差し置いて行われたのです。
これがViet氏の力なのか、知り合いがいるのか、袖の下を渡したのか・・・。
真実は不明ですが、何はともあれ、何の混乱もなく出国手続きを終えてしまいました。
Viet氏のパスポートがチラッと見えましたが、この国境のスタンプがたくさん押されていました。

続いて検査があるのですが、ここは何も機能しておらずフリーパス。
というか、建物の入り口と出口の間に何ら規制するものがありません。
あるのは窓口のみ。
そして小さいながらも免税店という名の売店がありましたが、見るに値せず。客は誰もいません。
この建物の中は写真撮影禁止です。


建物を出ると、黄色い電気式のゴルフカートが止まっています。
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こんなのに乗って国境を渡りたくない!
と思っていたら、私たちには関係ないそうです。
いわゆるツアーバスや観光旅行で国境を越える人たちのためのものだそうです。
ベトナム国内、それも国境でこのような「サービス」があることに驚きました。
このカートはベトナム側の出入国事務所から中国側の出入国事務所まで運んでくれます。
国内でもめったに目にすることが出来ない「サービス」なのに。


さて、出入国事務所の建物をあとにして、あとは国境へ向かうのみ!
建物の200m先が国境でした。

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実に3年振りの徒歩での国境越えです。
家人は感動しまくりです。
旅の前になんだかんだ文句を言っても、この「国境をまたぐ。右足はコッチの国、左足はコッチの国」というのを初めて体験するのはやはり感動が伴ないます。
国境のラインにあたるところに細長くコンクリが埋め込まれています。
そしてなぜか「中国国道322」と書かれていました。どうやら、ここで「中国国道322号が終点」という意味のようです。

そしてその先には今まで新聞やニュースやインターネットでよく目にしている「友諠関トンネル」です。
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中越貿易を活発にするために、またより利便性を上げるために、友諠関を囲む山にトンネルをぶちぬき、物流性を高めるのが目的です。

国境での記念写真を終えて、いよいよ中国側の入国手続きです。
国境を越えて左手に出入国事務所があるのですが、もう見てビックリ。
近代的な建物がど〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んと立っているのです。
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しかも建物へ続くアプローチも屋根がついているのです。
正直ぶったまげました。
線一本越えただけで、この「格差」です。
圧倒的な「国の格の違い」をこの国境は示しています。
もちろんこれは中国としては「意図して」やっていることです。
ベトナムから中国へ渡るベトナム人民にその格差を見せ付け、先制カウンターパンチ。
また、ベトナムから中国へ戻る中国人民には「やはり我が祖国。中国4000年の歴史あるね」と。

また建物を出たところには売店を兼ねた両替屋。(ここで商売が出来るのってすごいコネが必要だと思う)
しゃれた広場。
そう、この国境エリア(ベトナム側のチェックゲート〜イミグレ〜国境〜イミグレ〜中国側)でベトナム側と中国側で全く国の意識が違うのです。
一言で言えば「国としての貧富の差」が明確に比較できる場所、です。
この「格差」はタイ−ラオス、タイ−ビルマの国境でも同じことを感じましたが、基本的に、タイもラオスもビルマも「同じ匂い」を感じました。しかし、この国境には両国間に「同じ匂い」を感じることはありませんでした。
ベトナムが決して追いつくことの出来ない、同じ共産国の中国。

またこの中国側のイミグレの建物、私が今まで渡ってきたタイ−ラオスのチョンメック国境、タイ−ビルマのメーソット国境のそれぞれのイミグレより格段に立派です。(タイのチョンメックの国境は今はかなり立派な建物になっているはず)。
この中国イミグレ、とても「辺境の国境」とは思えません。

ベトナムは今現在、間違っても1979年の時のような中越戦争を行うことはないでしょう。
中越戦争はその背景を話すと長くなりすぎるので省略しますが、たった30年前に、中国とベトナムは戦争(またはカンボジアを舞台にした代理戦争、ベトナム国内での華僑弾圧への抵抗など)をしていました。
きっと当時のベトナムは自信と希望に満ち溢れていたのでしょう。

<参考:中越戦争>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%B6%8A%E6%88%A6%E4%BA%89

いま、中国が絡む争いごとがあってもベトナムは自ら先陣を切るようなことはしないでしょう。(意地やプライドなどは別として)
この30年の成長の違いなのか、そもそもの国力の違いも含めてなのか、この国境エリアを見るだけで中国とベトナムの国力の違いを見せ付けてくれます。
(実は、中国に驚くのはまだ早かった)


さて、話を戻して、中国側のイミグレオフィスに向かいました。
実はHOK君もこのイミグレオフィスやその中を見て、ため息をついていました。
ぼそっと「中国はとても大きな国です」と言っていました。

イミグレオフィスの前には暑い日ざしの中、網笠をかぶって掃除に励む人民がいます。
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中国人民?それともベトナムからの出稼ぎ??
あえてViet氏にもHOK君にも聞きませんでした。


イミグレオフィスに入ってまず「あれ?」と思ったのが、エアコンが効いている!ということです。
実は今日は物凄く暑く気温30度近くあります。
ベトナム側のイミグレはエアコンなどはなく蒸し蒸ししていました。
しかし、中国のこの建物の中は涼しいのです。
そして建物の中もいわゆる近代的なオフィスの様相。

実はここでもオダイジン。
Viet氏が必要書類を全部記入してしまいました。

そして私たちはその書類を持って入国審査の列に並びます。
ここもビックリ。
空港のような入国審査のカウンターが並んでいるのです。
全部で7つか8つはありました。(空いていたのは3つだけ)
もうそれは空港と同じ。
カウンターには一人しか入れず、その手前に黄色いラインがあり、そこで待機して列を作るのです。
そういうシステムがこの辺境の地に導入されているのです。

さて自分の番になってカウンターへ進みます。
やっぱりどの国の入国審査カウンターの係員というのは感じがわるいもので。。。
やれめがねを取れ、だの指示して来ます。(英語が出来ないようで、めがねを外せという仕草をする)
そして人の顔をジロジロとみつけ(俺に惚れたか?)、パスポートのあっちゃこっちゃのページを行ったり来たり。
Viet氏もHOK氏も家人もさっさと終わったのに、私だけ異常に時間を掛けられます。
しかし、やましい事もないし、過去に中国に密入国した経験もないし、中国を批判したことも表立ってはないし、目をつけられるようなことはないはず。
このイミグレにコンピュータシステムも導入されていて、パスポートのバーコード部をピッとスキャンするとなにやら情報がでてくるようです(コチラから見えないので何が表示されているのか不明)

「惚れたなら、そう言ってくれ〜、俺は正面から断るから!」
と叫んでみたくなりましたが、仮に中国語でそれを言っても、余計に相手の機嫌を損ねるだけで、事態が更に悪化するのは明白ですね。

なんだかんだでやっと終わりました。
このイミグレのカウンタには「お客様の満足度教えてねボタン」という装置が設置されているのです。
これも写真撮れなかったのが残念。
確か「あなたはサービスに満足されましたか?」だったか「対応に満足されましたか?」という文言が書いてありました。
そして4つのボタンがあり「大満足」。。。「不満」というようになっていました。
パスポートが戻ってきてカウンターを離れるときに、もちろん私は一番右側の最低ランクのボタンを押して来たのはいうこともありません。
係員はボタンを押されても顔色一つ変えなかったので、もしかしたら、このシステムが故障しているのかもしれませんが。

カウンターを通りぬけて、更に進もうとしたら、左手のテーブルのいた係員になにやら怒鳴られてしまいました。
あの「満足ボタン」はここにつながっていのか!。あそこで「最低ランク」なんて押すと、ここで「反中国的異邦人」ということでとっつかまってしまうのだろうか!、といきなり心臓がバクバク。
いや、なんのことはない、手荷物を手荷物検査(空港にあるのと同じような装置)に通せ、ということだけでした。
荷物が多い中国人やベトナム人は開梱させられていましたが、私は、無事に手荷物検査も通り抜け、「遅いなぁ」という顔をして待つViet氏とHOK君のところへ行くことが出来ました。

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中国友諠関国境のパスポートのスタンプ


というわけで、何事も問題もなくベトナムを出国し、中国に入国できちゃいました。
てっきり賄賂とか要求されるかと思っていました。
また、厳重な荷物検査をされ、
「ナンデ、携帯電話ガ4台モ、アルカ?」「コノGPSユニットハ、ナンノタメニ モッテアルダ?」
なんて尋問されるのではないかと思っていただけに非常に拍子抜けした国境越えでした。

まあ、タイ−ラオス国境のときも荷物検査一切無し、それこそ麻薬からミサイル、核兵器までスルーできる国境でしたし。
タイ−ビルマのときも特に検査なし、これも麻薬から・・・となんでもOKな国境でした。
あ、ラオス入国のイミグレでは賄賂を要求されたんでしたっけね。
それとビルマのときは、持っていたEOS Kiss digitalに注目され、国境職員達が集まってきてワイワイガヤガヤとなって全然解放してくれなかったんでした。
(別に取調べではなく、彼らがこのカメラに興味があっただけ)
このような、なんというか「少し緩んだ状況」というのが、今回の国境越えにはありませんでした。
国境越えでフレンドリーというのも変な話ですが、フレンドリー具合では、タイ>ビルマ>ラオス>ベトナム・中国という順位です(もちろん私の経験のみの範囲で)。


建物から出ると、また暑い日差しが容赦なくて照り付けます。
そこは大きな綺麗な広場になっています。
左側には3、4軒の売店らしきものがあります。こんなところで商売できるというのは、よほどのコネがあるのでしょう。

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でも客がいないときにはこのようにバクチで盛り上がっています。
右手へ進むと「友諠関」です。その手前にセキュリティーチェックがあり、パスポートの入国スタンプを提示します。

と、その前に、全く人民元を持っていませんでした。
イミグレの建物を出た左側にある売店が実は両替商です。銀行なんてものはありません。
Viet氏は、
「これから行く凭祥(ピンシャン/PingXiang)でもドンは使えるし、街でドンも両替が出来るが、ここで両替しちゃってもいい」
と。また、
「ドル→人民元よりドン→人民元の方がお得。彼らもドルはあまり欲しがらない」
と。
というわけで、とりあえずここで「800,000ドン(約45ドル)」を290人民元に両替しておきました。
レートはあまりよくなかったです。
まあ、しょうがないか。

この国境ですが、中国側はかつての「広西省」、現在の「広西チワン(壮族)自治区」です。首府は南寧市。

<参考サイト:広西チワン(壮族)自治区>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E8%A5%BF%E3%83%81%E3%83%AF%E3%83%B3%E6%97%8F%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%8C%BA


両替を済ませ、セキュリティチェックでパスポートの入国スタンプを提示し通り抜けるといよいよ「友諠関」です。

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「友諠関」、中国の九関の一つです。
「友諠関」のこの建物の2階から4階は展示室になっています。
フランスとの抗争、ホーチミンおじさんと中国との友好のことが展示されています。

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中越戦争については触れられていません。これは中国側の配慮でしょうか?中越戦争のとき、中国軍はここからランソンに攻め入っているはずです。
この展示館は、ひたすらベトナムを支配していたフランス軍と中国の戦い、そして、ベトナムとの友好に溢れているところでした。


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友諠関から中国イミグレを望む。

 
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友諠関から中国側を望む。

 
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また、このあたり一体は戦争当時の大砲などがまだ残っていますが、今回は時間がなく見て廻ることができませんでした。

 
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友諠関の周りに立つ碑

 
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本場、北京ジープ。

 
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友諠関の中国側にある観光案内センターや売店。


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友諠関国境エリアの入り口。


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その広場を抜けるとなだらかな坂道。
坂の下にはコンクリートできた山門のようなものがあります。


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坂道を下っていると声を掛けてきたタクシー運転手。
山門の下にはたくさんのタクシーやバイタクがいますが、この坂道で通行人に声を掛けていたのはこのおっさん一人だけ。何かの特権かな?


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山門を出るとバイタクやタクシー(セダンタイプや軽バン)がたくさん待っています。また、ベトナム国内からのツアー客(個人が乗合バスなどで移動する意味のツアー。日本のツアー旅行とは意味がちょっと違う)には、ミニバスが待っていました。
タクシー運転手達は「ナンニン」「ピンシャン」とか声を掛けてきました。
基本的に「交渉制」です。
さて、ここでViet氏が交渉に走り回ります。
こちらは4人なのでセダンタイプのタクシーには乗れません。
そこで軽ワゴンタイプのタクシー(そもそもタクシーなの?いわゆる白タク?)と交渉するとともに、車内の清潔度合いなどもチェックしています。
やるなViet氏。


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そんな中、比較的まともな車が見つかったのか、「これに乗れ」と。確かに外観はピカピカ。
乗ってみたら、いやはや中はボロボロ・・・。でもこれでもまともだったそうです。
それにしても外観と内装とのこの格差って・・・。
いわゆる軽バンですが、走り出すとその振動たるや・・・。

さて、目指すは国境に一番近い街、「凭祥(ピンシャン/PingXiang)」。
ここから約20km北上します。

(その3へ続く)


posted by siam_breeze at 00:00| ハノイ 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ベトナム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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