2012年09月01日
[LAOS]Children in Laos at 22.July.2005
2005年の7月にタイから単身ラオスに向かいました。
予定も何も決めずに、BangkokのMo chit から夜行バスでUbon Rachathani(ウボンラチャタニー) へ向かい、そこからタイ人にいろいろ聞きつつ、ローカルバスを乗り継いで、LAOSとの国境Chon Mec(チョンメック)へ。
そこで初めて、「自分の脚」で国境を跨いで、LAOSへ入国。国境まで一昼夜。
日本では絶対に出来ない「自分の脚での国境跨ぎ」を初めてやりました。
(その昔、板門店の会議場の中で北朝鮮側には入ったことがありますが、これはちょっと意味が違いますね)
そしてLAOSのPAKXE(パクセー)へ。
PAKXEから数時間のところにほとんど知られていない「世界遺産」があります。その名は「WAT PHOU」(ワットプー)。
そこへも足を伸ばしました。
さて、この写真はPAXXE(パクセー)の田舎町をぶらぶらと歩いているときに出会った、LAOSの子供達。
シャイで陽気な子供達でした。
いま、Bangkok〜Pakxeは飛行機が飛んでいるそうです。
2005年07月26日
国境を歩いて越えてラオスへ 〜番外編/ラオスの携帯〜
ラオスでの携帯電話の状況です。
今回、ラオスには、Treo650、BenQ P50を持っていきました。SIMはAISのポストペイドSIMとプリペイドSIM(1-2-call)です。どちらもIRの手続き済みです。
国境あたりはラオス側でもAISの電波を掴んでいましたが、パクセーの街につくと「LAO GSM」という表示にかわりました。Treo650でも同様に「LAO GSM」という表示がされました。
また、ディスプレイ上部のトップバーには「▲」マークが表示されていました。
AISのIRサイトをみると、ラオスは「Lao Telecommunications 周波数900」であることが明記されています。
[Lao Telecommunications]
http://www.laotel.com/index.php
さて、通話はタイへも日本へも問題なくできました。また、タイととのSMSも問題なくできました。相手が日本語可能な携帯やSmart Phoneの場合、日本語SMSの送受信も全く問題なくできました。上の画像を見ていただけるとわかる通り、GSMは不可能でした(アンテナマークの左横のGPRSマークが「×」になっています)。
今回、ラオスの回線交換アクセスポイント番号を調べていかなかったために、タイの回線交換アクセスポイント(So-net/GRIC)と日本のアサヒネットのアクセスポイントへ回線交換でダイアルアップを試みましたが、結果はNGでした。
Treo650でネットワークサーチをしてみたところ、LAO GSM以外に4つほどの電波を拾いました(画面キャプチャーしたのですがディスプレイ下半分しか映っていませんでした)。そのうちの一つを選択したのですが、ネゴシエーションできませんでした。
ラオスでは、国境、パクセー、ワットプーに滞在したわけですが、国境、パクセーの街中は問題なく電波を拾っていましたが、国境〜パクセー間、またパクセー〜ワットプー間は電波が弱かったり圏外になっていることが多かったです。そのため、携帯のバッテリーを無駄に消費しないために、電源を切っていました。
丁度携帯の電源を切っているときに、例の建設中のタイ・ラオ第二友好橋の事故があったようで、たくさんの方からSMSを頂いていたようでした。バンコクのPDA&モバイル同志の中でも心配してくだっているようでした。日本の友人も「blogが全然アップされない。さては無事なのか?」と心配してくださっていたようでした。国境まで戻ってきた時に携帯の電源ONにしたら、SMSをガンガン受信しました。前日、パクセーの街からさるぞうさんに日本語SMSでGSM不可という状況を伝えてあったので、バンコクの同志は安心して頂けたようです。
結果から言えば、ラオスでAISのSIMはGPRS以外は問題なく使用可能です。またラオスはまだまだ携帯が高価で、携帯を持つことがステイタスになっていました(泊まった宿のオーナー談)。
またラオスの通信事情はこちらのサイトが詳しいです。
◆関連サイト
[Lao Telecommunications]http://www.laotel.com/index.php
2005年07月25日
国境を歩いて越えてラオスへ 〜第一章〜
★はじめに
今回のラオスへの旅、「歩いて国境を渡りたい」という欲望から始まりました。 自分の足で国境をまたいで、右足がタイ、左足がラオス、というのをやってみたいという単純な欲望でした。
かなりの強行軍でしたが、非常に楽しい「旅」でした。事前準備はほとんどせず、久々の「行き当たりばっ旅」的な要素が多かったのも事実ですが(日本ではほとんど「行き当たりばっ旅」でした。 「計画的な旅行」が大嫌いなのです)、駄目なら引き返そう、くらいの気持ちでしたので、 丁度良かったのかもしれません。 事前準備をしなかったために、移動中のウボンラチャタニーでは蝋燭祭りがあることも知らず、ラオスのアライバルビザが取れないかもしれないという情報は出発当日にわかり、アライバルビザのために写真が必要なのを忘れていたので、出発直前に自分でデジカメで顔のみを撮影しスーパーフォトペーパーでインクジェットプリンタで印刷したり(笑)、 と出発前から相変わらずの行き当たりばったりぶりでした。なにせ、この四連休をすっかり忘れていて思い出したのが先週の水曜日、あわてて移動手段の確保に奔走したのでしたから(笑)。
私はいままで「旅」をしているときには、片手におさまる小さなノートを必携しています。旅先で感じたこと、 気がついたことをすぐにメモに取ったりしています。これは高校時代の「寅さん旅」のころからやっていることです。また一日の旅が終わると、 旅先の小さな温泉宿で、または焚き火やランタンの灯りで書き留めています。さて、今回のラオスへの旅、 何回かにわけて旅日記を公開したいと思います。これから同じようなルートをたどる人のための情報としても残しておきたいと思います。
<今回の行程> |
7月21日:バンコク出発(夜行VIPバス) |
7月22日:ウボンラチャタニー〜ワーリン市場〜ピブーン〜チョンメック(国境)〜ラオスのパクセ |
7月23日:パクセ〜ワットプー〜チョンメック(国境)〜ピブーン〜ワーリン市場〜ウボンラチャタニ |
7月24日:ウボンラチャタニ〜バンコク |
★第一章 いざ出発(バンコク〜ウボンラチャタニー)
2005年7月21日、4連休の初日は朝から曇空。いつもの休日のようにのんびりとベッドから離れ、シャワーを浴びた後、 マナオを絞ったペリエとコーヒー。休日のはじまりはまったくいつもと同じ。昼ごろから旅支度をはじめました。旅の相棒は使い慣れた Lowe Alpine の55+15Lのザック。必要なものを詰め込んで家をでます。 バスの出発はバンコク北部のモーチットバスターミナル。JJ(チャトチャック・ウィークエンド市場)のそばです。 BTSでモーチット駅まで出て、タクシーを利用しました。4連休ということで道路の渋滞が予想されていたので、時間もかなり余裕を見て、 またBTSを利用したのでした。
案の定、モーチット駅からJJの横を過ぎ、バスターミナルへの道で大渋滞です。15分くらい動きませんでした。
途中でタクシーを降りて、歩いてバスターミナルへ向かう人たちもいます。
普段の3倍以上の時間をかけて、モーチットバスターミナルへ到着しました。ターミナルにはどこからこんなに人が集まるんだ!、 というくらい人人人人。しかもひっきりなしに人が集まってきます。
ターミナルの中も外も人。ターミナル内は足の踏み場もありません。 バスチケット窓口はどこの行き先の窓口も長蛇の列。少しでも床にスペースがあるとタイ人はどんどん座って行きます。 チケットが取れないのか、はたまたチケットは取れたけど出発までかなり時間があるのか、床も階段も人で埋め尽くされています。 大きな荷物を抱えた家族連れ、友人同士、手をつなぎあっている若いカップル。 ターミナル全体が熱気とウキウキとした気分で包まれています。日本人やファランはほとんど見かけません。 仮にいたとしてもこれだけのタイ人がいればわからないでしょう。 ターミナルないのセブンイレブンやミニマートも人が多すぎて店内で身動きが取れないほどです。 飲み物などの補充がまったく追いつかずに、ついに店員が店先でミネラルウォーターなどを売り始めるしまつです。 どうにか狭い店内にもぐりこみ、1.5Lのペットボトルを購入。これ1本あれば明日まではなんとかなるでしょう。 ターミナルの食堂も人の山。テーブルは人で埋め尽くされて、人々は買ったものを外の床に座り込んで食べています。 私はSukhumvit Soi33/1 のカスタード中村で買ったミニドーナッツとカツサンド。 この混雑を見越して買っておいて正解でした。
<人で埋め尽くされたターミナルの様子>
シートは人で埋めつくされています
床にも人が。若干の通路スペースを除いて人が座り込んでいます。
チケット売り場も長蛇の列です。
ターミナル内をうろうろしながら時間をつぶした後、20時ごろ、 ウボンラチャタニーへのVIPバス乗り場のプラットフォームへ向かいました。プラットフォームへ続く陸橋にも人が埋め尽くされていました。
そしてプラットフォームへ降りると、これまた人人人。身動きが取れません。ものすごい熱気です。 ウボンラチャタニー行きのプラットフォームは「2、4、6、8、10」のどれか、とチケットには書いてあります。 そもそもどこだか決まっていないというのもタイらしい出来事です。プラットフォームの一角に窓口があるので聞いてみると「8番」とのこと。
このバスターミナルを利用した人はご存知かと思いますが、プラットフォームに乗り場がいくつかります。 左の写真の柱の上に番号が書かれています(写真では見にくいですが)。 このプラットフォームは東北方面や北部本面へのVIPバスの発着になっているようです。チェンマイ行、サコンナコン行き、コンケン行き、 メーホーソン行きなどのバスが止まっています。プラットフォームの各所に職員のおばちゃんやおねえちゃんがいて、 「何時のどこどこ行きはあっちだ、こっちだ」と怒鳴っています。私は8番乗り場のところにいたおばちゃんにチケットを見せて 「本当にここでいいの?」と尋ねると「そうだ。バスはまだ来ていないから待っていればいい」といいます。実は先ほどの窓口では「8番」 とは言われたものの50%しか信じていないのです。言い方は悪いのかもしれませんが、タイの生活で学んだひとつです。タイでは、 絶対に鵜呑みにせずに、自分でいろんな方法でチェックすることを怠らないことが一番の自己防衛になるからです。 次に10番の乗り場のおばちゃんにも確認します。「8番だ」といいます。そして「バスの番号はわかりますか?」と聞くと、 おばちゃんはリストを見て(職員のおばちゃんたちはプリントアウトされたこの日のバスの発着リストを持っています)「553」 そして乗り場である「8」という数字をと僕のチケットに書き込んでくれました。リストには乗り場とバスの番号が明記されていました。
出発までまだ1時間あるのでプラットフォームの片隅でバスの発着状況を観察していました。すると、 バスは必ずしもリストに書かれている乗り場に到着しないことがわかりました。例えば、コンケーン行きが8番に入ってきました。 すると6番乗り場で待っていた人たちがドドドドドドドーと8番に移動します。職員のおばちゃんも「20:20のコンケーンは8番!」 と怒鳴っています。もっと面白いことに気がつきました。この時間帯は長距離夜行バスの出発ラッシュとなるようです。 出発時間も重なっているために、プラットフォームの乗り場に入ってこれないバスがあるのです。そうするとおばちゃんたちはまた叫びます。 「何時の○○行きはプラットフォームの外!」と。つまりプラットフォームに入ってこれないバスが、後ろのほうに待機しているのです。 すると荷物を抱えた人たちがドドドドドドーっと大移動するのです。 しかし出発5分前くらいに来た人はそのことを知らずに自分のバスを探しています。そして職員に聞くと、職員が「あっちだー」 と指さしその人はダッシュしていきます。荷物が多い人がいると職員が荷物を一緒に運びながらダッシュしています。そのうち、 プラットフォームに入ってこれないバスの運転手や車掌などもプラットフォームへやってきて「何時の○○行きはこっちっだ!」「あっちだ!」 と叫びます。そのたびに人が大移動します。乗客も「何時に(バスは)来るんだ!」「どこだ」「どっちだ!」と怒鳴りあっています。 日本の朝のラッシュアワーの電車内の状態の中でこの光景が繰り広げられているのです。熱気を感じないわけはありません。
小一時間観察していて、どうやらリストに書かれた乗り場にバスがちゃんと入ってくるのはマレのような気がしました。 それだけ人の移動が発生しています。これがタイらしい成り行きまかせです。そもそもこの時間帯は本数が多いのかもしれません。 きっとリストには「21時チェンマイ行き 10番」「21時 コンケーン行き 10番」などと書かれているのでしょう。 職員のおばちゃんたちはそれでも情報を収集しながら「あっちだ!」「こっちだ!」「急げ急げ!」と人を裁いています。 それはもう手馴れたもので、おばちゃんたちも楽しんでいる様子すらありました。
観察ばかりしていられません。私のバスは21時発ですが、 20時50分になっても8番プラットフォームにはまだ別のバスが止まっています。職員のおばちゃんに聞くと「待っていろ」といいます。 しかし、1分、また1分と時間が過ぎていきます。これはおかしい。絶対に何かが違う。気がつくと3分前です。ヤバイ。絶対にへんだ。 あわててザックを担いで、まずは若い番号の乗り場へ移動しました。隣の6番は違います。そしてその隣の4番に移動すると「ウボン行き」 が止まっているではないですか!。しかもバスの番号は「553」です。出発時刻の1分前でした。しかし客は半分も乗っていません。 そんなはずはありません。このバスの予約をした先週の水曜日、私が最後の一席だったのですから。バスの運転手に「職員は8番といっていた。 たぶん、8番あたりにまだウボンに行く人がたくさんいると思う、キットワー」は伝えると、 運転手はバスを飛び降りて8番の方へ走って行きました。ザックを床下のラッゲージに詰めるもう一人の運転手に渡しました。 行き先を聞かれたので変だなと思いながらも「ウボン」と答えました(理由はあとからわかりました)。バスに乗り込もうとすると、 10人以上の客が小走りで8番乗り場方面から移動してきました。いやはやタイらしい光景です。
21時12分、バスは出発しました。いよいよ初めての深夜夜行バスです。 VIPバスだけあって足元は広めです。足先を前の椅子の下にもぐりこませれば、足は伸ばせます。1等バスより足元は広いです。 また座席は150度くらいは倒せます。前の座席が倒れるとトイレに立ち上がるのも一苦労なほどです。また、 このVIPバスは3列シートです。とは言っても日本のように3列独立ではなく、1+2列のスタイルです。 VIPバスによっては4列のものもありました。
出発するとすぐにミネラルウォーターと箱に入った菓子パンが配られました。
箱の中は菓子パンとインスタントコーヒーです。菓子パンは以前コラートへ行ったときの1等バスでも配られましたが、 このような箱には入っていませんでした。この箱入りがVIPなのでしょう(笑)。 ミネラルウォーターと菓子パンの次にはブランケットが配られました。なんだブランケットが配られるのですね。 タイの長距離バスはエアコンをガンガンに効かせているのは経験済みだったために、 ポーラテックの一番薄いフリースをバスへ持ち込んでいたのです。また、バスタオルも一枚持ち込みました。これは枕用です。 どうしても座席のヘッドレストが合わないことがありますので、バスタオル1枚持っておくと重宝します。
バスはモーチットターミナルを出るのも一苦労です。出発のバスで渋滞しているのです。そして、Tall Wayの下のヴィバワディ・ ランジット通りを北上します。やはり交通量が大変多く、バスは右へ左へ車線変更しながら進んで行きますが、やはり途中で止まってしまいます。 バスの車両はかなり古めの車体で結構フワフワと揺れます。乗員は全部で4名いました。3名が男、1名が女。男は運転手でしょうか。 交代しながら運手するのでしょうか?。女性は何も仕事をしていませんでした。普通ブランケットやお菓子を配るのは女性の乗務員の仕事ですが、 男性乗務員がその仕事をしていました。
バスは空港を過ぎたあたりで消灯となりました。みな椅子を倒して眠り始めました。予定では10時間から12時間となっていますが、 果たして何時間後にウボンラチャタニーに到着するのでしょうか。毎日通勤で見慣れた車窓を見ていました。 バンパインで見慣れた道から離れ国道2号へバスは進みます。出発してから交通量は非常に多いです。サラブリーの手前でも渋滞。 サラブリーを過ぎてカオヤイの山を左手に見ながら山道になるとまたまた渋滞です。このあたりで僕も眠り込んでしまいました。 果たして何時間後にウボンラチャタニーに到着するでしょうか。バスに乗り込む前にバスターミナルの職員は「12時間くらいだ」 と言っていました。「ロティット(渋滞)はあるのか?」と聞くと「渋滞はあるよ」と言っていました。
バスが止まって目が覚めました。どうやら休憩所に入ったようです。時計を見ると深夜12時。 30分の休憩とのことです。東北方面へのVIPバスや長距離バスがたくさん止まっていて、また続々と到着します。 モーチットのバスターミナルでも気がついたのですが、VIPバスはフロントガラスに「99」または「999」と書いてあります。 この休憩所は売店やみやげ物、食堂も併設されています。
食堂は2つありました。これは一般用(?)の食堂です。
こちらはVIP用。これでチケットについていたクーポンの意味がわかりました。 このクーポンと引き換えにVIPの食堂が利用できるのです。メニューをみたらおかゆと付け合せ数品でした。人もたくさん並んでいたので、 私は買ってきたミニドーナッツとミネラルウォーターで夜食としました。タイ人は眠い目をこすりながらもウキウキと楽しそうな様子です。
この休憩所はどのへんなんだろうと、バンコクのPDA有志のMLにメールを投げたところ、在タイ30年の友人かず氏から「パクチョンの手前ではないか」という返事がありました。 バスが出発するときに見覚えがあるGSスタンドがありました。カオヤイへ行ったときに寄った所でした。やはりパクチョンの手前でした。 バスは30分の休憩の後、出発しました。やはり交通量が多く、休憩所からなかなか国道に出られません。 9時に出発して12時にパクチョンの手前ですから、途中渋滞があったにしても結構順調なのではないでしょうか?。 国道に出てまっすぐとコラート方面へ進むのかと思いきや、途中で国道を離れました。この道は前に仕事で一度走ったことのある道です。 夜はこちらのほうが交通量が少ないのでしょう。バスはガンガンと飛ばして走ります。遅い車はトラックだろうが乗用車だろうが、 どんどんんと追い抜いて行きます。あたりは畑と荒地なので明かりは一切ありません。 車窓の闇を見ていたらいつの間にか眠りに吸い込まれたようです。
次に目を覚ましたのはやはりバスが止まったところでした。時間は深夜3時過ぎ。ほとんど記憶がありませんが、たぶん、 スリンだと思われます。象の像がありました。スリンではスリン駅ともう一箇所で止まりまりました。このときに、 出発前に床下のラッゲージに荷物を積み込むときに行き先を聞かれたのがわかりました。 スリンで降りる客の荷物を手前にしまうためだったのです。スリンを出てまた眠りに落ちました。しかし、道路の舗装の状態が悪いために、 バスがかなり揺れ、寝ては覚め、寝ては覚めの繰り返しでした。
そしてバスは6時11分。ウボンラチャタニーに到着しました。意外に早い到着にちょっと驚きました。12時間は覚悟していたのですが、 休憩時間などをいれて9時間で到着したことになります。バスを降りると、ものすごい数のTUKTUKやバイタクの運転手が寄ってきます。 運転手によっては僕の荷物を強引に持って歩き出そうとしますので、制止しました。
まずはトイレで歯を磨き、顔を洗って、ズボンを短パンに、そしてTシャツを着替えてサッパリとしました。 気持ちもサッパリするものです。
天気は曇り空。風があって涼しい朝でした。
さて、眠いっている間にバスターミナルに到着したわけですが、いったいどこにいるのか位置関係がわかっていません。 ウボンラチャタニーは地球の歩き方によるとバスターミナルが3つあります。どこのターミナルに到着したのでしょう??。 これから国境のチョンメック(チョーンメック)を目指すわけですが、まずは今いる位置を把握しないといけません。 国境のチョンメックには直行バスはないようです。ウボンラチャタニー郊外のワーリン市場(タラート・ワーリン) からピブーン行きのバスに乗り、ピブーンでチョーンメック行きのソンテウに乗り換えることはわかっていました。 まずはワーリンまたはピブーンを目指さなくてはなりません。見知らぬ町で自分のいる場所がわからないほど不安になることはありません。さて、 どうしたものか・・・。